職人への道
いまから28年前の話である。
私はフリーター生活を経てメガネ業界に入った。
産地では大手のメガネメーカーのデザイン室勤務だった。
当時デザイナーは10名程だったと思う。
デザインが選定されるとそれを図面にして
別棟にある試作室に行って職人に試作を依頼する。
私は試作室が好きだった。
職人は5~6人だったと思うがそれぞれ個性的というか
人間味に溢れていた。
モノを作るプロ集団として私は試作室を尊敬していた。
ある時、図面どおりに試作が出来上がったのだが、どうしても
気にいらないところがあり、室長に修正を頼んだ。
「わかった、やっておく」と言ってくれたが、何時までたっても
やってくれない。
そこで、自分でやり方を教わって直した。
そんなことが何度かあるうちに、室長が私に机を用意してくれた。
私はデザイン室と試作室の両方に机があるデザイナーとなった。
その室長はもういない。
私も28年経ってその室長に近い年齢になった。
いまになって室長の気持ちも良く解かる。
たぶん私は生意気な若造だったはずです。
そして室長は大人だった!
私は大人になっただろうか・・・
私はフリーター生活を経てメガネ業界に入った。
産地では大手のメガネメーカーのデザイン室勤務だった。
当時デザイナーは10名程だったと思う。
デザインが選定されるとそれを図面にして
別棟にある試作室に行って職人に試作を依頼する。
私は試作室が好きだった。
職人は5~6人だったと思うがそれぞれ個性的というか
人間味に溢れていた。
モノを作るプロ集団として私は試作室を尊敬していた。
ある時、図面どおりに試作が出来上がったのだが、どうしても
気にいらないところがあり、室長に修正を頼んだ。
「わかった、やっておく」と言ってくれたが、何時までたっても
やってくれない。
そこで、自分でやり方を教わって直した。
そんなことが何度かあるうちに、室長が私に机を用意してくれた。
私はデザイン室と試作室の両方に机があるデザイナーとなった。
その室長はもういない。
私も28年経ってその室長に近い年齢になった。
いまになって室長の気持ちも良く解かる。
たぶん私は生意気な若造だったはずです。
そして室長は大人だった!
私は大人になっただろうか・・・